第20章 -こころ-


 部屋に入ると、そこにはどこまでも続く青い空と、丘が広がっていました。遠くには、一本の大きな木が立っています。
 外と中での部屋の大きさの違いに驚いたジーノは、周囲を警戒しながら、木に向かって歩いていきました。
 木のそばに近づくと、ジーノを待っていたもうひとりのロゼッタがひとり、歌を歌っていました。その歌声は、散りゆく星くずのように美しく、儚げでした。
 ――母のいない子のように 私は天へと昇っていく 母のいない子のように 私は故郷を捨てて行く けれど ホントはわかってた 私は夢を 見ていたと 私は夢を 見ていたと
「……お久しぶりね、小さな星の王子様」
 歌い終わると、彼女は目を開け、振り向きました。
「ここは、私の思い出をもとに作った空間。秘密の部屋よ」
 ジーノは、彼女を見つめました。
「ロゼッタは……どこだ!」
 彼女は腕を組み、笑みを浮かべます。
「落ち着いて。少し、おしゃべりしましょう? こんなにもいい天気なのだから」
「彼女を返すんだ!」
 フッ、とため息をもらし、もうひとりのロゼッタは肩をすくめました。
「もう、せっかちなんだから。すぐにここに連れてきてもいいけれど、焦らすのは女のたしなみ……あなたの力、見せてもらうわ」
 彼女が目の前に手をかざすと、ジーノの影がゆらめき、その中から魔物があらわれました。
「それは、あなたの中に眠る記憶。さぁ、彼をたっぷりもてなしてあげなさい」
 魔物が、ジーノに襲い掛かりました。
「ゲス、ゲス!」
 魔物は爆弾を持っていました。ジーノにあらんかぎりの爆弾を投げつけます。
 ボボンッ!!
 爆発による破片と高熱で、まわりの地形が変わりました。煙だらけで、何も見えません。彼は、どこに……?
 探していると、上空から声が聞こえました。
「こっちだ!」
 魔物が見上げると、日の光で目がくらみ、動きが止まりました。ジーノは爆風を利用して、高く、高くジャンプしていたのです。
「フィンガーショット!」
 彼の両手の指先から、無数の弾が発射されました。
「ゲッ!?」
 銃弾の雨を前に、魔物は跡形もなく消え去りました。
「じゃあ、次はどうかしら?」
 煙の中から、カギ爪が飛んできました。カギ爪はジーノを捕え、そのまま地面にたたきつけました。
「うわっ!」
 槍を持った鮫の魔物。その姿には見覚えがありました。
 魔物が二つの刃物を投げつけました。雪の結晶、ダイヤモンドカッターです。
「ジーノカッター!」
 刃には刃を。こちらもカッターを使い、はたき落します。その隙をついて、魔物は槍をジーノに突きだしました。
 グサリ!
 ジーノは串刺しにされてしまいました……と思いきや、それはマント。
 彼は魔物の下に潜り込んでいました。そして、ドカン! といっぱつ。魔物は、砂のように崩れ、消滅していきました。
「やるわね」
 彼女は小さな拍手をして、感心した目でこちらを見ました。
「彼は、もっと強かったはずだ。熱い心が、魂が、ボクたちには必要なんだ」
 立ち上がったジーノは穴の開いたマントを再びまとい、言いました。
「『熱い心』……ね。ウフフフ」
「何がおかしいんだい? キミにもあるはずだ。目の前の世界を感じる心が」
 彼女の紫色の瞳が、怪しく光りました。
「そうね。あなたたちは心があるから希望を抱いて、生きていける。でもそれはね、『世界の理を外れて生きる者』たちにとって、残酷なものなの。あなたは同じことをこの子にも言えるかしら?」
 彼女は再びパチンッ、と指を鳴らしました。
 すると上空に、亜空間が広がりました。そして中から、両手を鎖で吊り下げられ、ぐったりしたロゼッタが彼女の隣に降ろされました。
「感動のご対面ね」
「ロゼッタ……!」
「……………………………」
 返事はありません。
「彼女に何をした!?」
「この子の中に眠る記憶と感情を、解き放ってあげたのよ」
「記憶と、感情を……?」
「ええ。この子はそれらを封印することで、今まで生きてきたの。自分のおかしたあやまちと、それによって生まれた悲しみもいっしょにね……本来なら、自分の心が壊れてしまうほどの辛い悲しみ。この子はその悲しみを抑えるために、自分の心に魔法をかけたの。過去を捨てて、今を選んだ。星の子……チコたちのママとして生きる道を」
「そんな……じゃあ、彼女の昔の記憶があいまいだったのは……」
「この子自身が望んだことよ。でもそれも、もう終わり。私が心の氷を溶かしてあげたから」
 彼女はロゼッタの顎を持ち、言いました。
「この子の魔法が思っていたよりも強力でね。解くのに苦労したわ。少々、手荒なコトもして……フフフ。でも、ずいぶん楽しませてもらった。久しぶりだったこともあって、気合いが入っちゃって」
 彼女は、ロゼッタの口から出ていたよだれをおいしそうに舐めました。
「まだまだ、味わい足りないわ」
「くっ……!」
「今は魔法を解いたばかりで意識がはっきりしていないようだけれど、じきに目覚めるわ。そのときこの子は、全てを思い出す。フフフ、楽しみね。この子は、どれほど悲しむでしょうね。どれほど涙を流すのでしょうね」
「キミは、なぜこんなことを! なにが目的なんだ!」
「私の目的は、全ての悲しみを押し流すこと。そして、この巡りゆく世界を完結させること」
「何を、言っているんだ……?」
 ジーノは、彼女の言葉の意味がわかりません。
「ええ、わからないでしょう。それでいいの。あなたが知っても、意味のないこと。『巡りゆく者』のあなたには」
 彼女は、見下すように言いました。
「『巡りゆく者』……?」
「この世界の理の中で生きている命……ということよ。それより今は、自分の身を案じたほうがいいのではなくて? 私はまだ、ここにいるわ」
 彼女は杖を取り出しました。杖の先には、青い三日月のオブジェクトが付いています。
「この子は私のもの。目覚め、悲しむこの子を、私が慰めてあげるの。永遠にね」
 彼女は床からフワリと浮いて、ジーノに杖を向けました。
「そうはさせない。キミを倒して、ボクは彼女を助ける!」
 ジーノは腕の銃を構えました。
「いい顔ね。さぁ、いらっしゃい。王子様」
 彼女が杖を掲げると、辺りは謎の黒いオーラに包まれ、真っ暗闇の世界になりました。地面に生えていた草花は消え、漆黒の地面へと変化していきます。
「あなたに私が見えるかしら?」
 ジーノはかすかに聞こえる音を頼りに、攻撃します。
「ハズレよ」
 背後から、強烈な衝撃が襲いかかり、ジーノは吹き飛ばされました。
「うわっ……!」
 ギシリ、ギシリ……強力な魔法を受けた彼のカラダは、大きな音を立ててきしみます。ジーノは、ロゼッタのイヤリングを取り出しました。
「光よ!」
 彼の周囲を、光が照らしました。すると、彼女の姿が見えるようになりました。魔法をしゃがんで避けると、ジーノは背後に向けて攻撃しました。
「そこだ!」
 放った砲弾が、彼女を包んでいたバリアを砕きました。
「そうこなくちゃね。じゃあそろそろ、本気で行くわよ。あなたの記憶の中に残る、もっともおぞましい存在のひとつ……それを今、思い出させてあげる」
 彼女は両手を上げて、呪文を唱えます。床に大きな穴が出現し、中から魔物が這い出てきました。
 その姿は、異形という言葉のほかに例えようがありませんでした。四つのクリスタルを従え、また自身もその半分がクリスタルにおおわれた存在……
「お前は、まさか!?」
「さぁ、歌ってあげましょう。あなたの最後を彩る挽歌(レクイエム)を」
 かつて、激戦を繰り広げた二次元の魔王、クリスタラー。その幻影が今、三次元の力を得て、ジーノの前に立ちはだかりました。
「ジー……ノ………」
 ふたりが戦う最中、ロゼッタの心が、目覚めようとしていました。


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