第1章 -初日-


 その連絡があったのは、調合室で薬の調合をしていたときのことだった。
試験管に薬草の粉末を注いでいるとき、開けっ放しの扉をノックする音が聞こえた。音の響き方から、星の子『チコ』だとわかる。
「マスター」
「何? 今目が離せないから手短にね」
「『武器』を名乗る者たちが、乗船の許可を求めてきております。『直接会って話がしたい』と」
 『武器』――ヒトの闇より生まれし憎悪の具体。生きる者に光を運ぶ『星』とは対をなす存在。いくつかの巡りのなかで、私は彼らと接してきた、ときには協力し、ときには破滅へと導いた。仲を違えてから随分経っていたので、向こうからのアプローチが来たことに、私は少し興味を持った。
「……待ってもらうよう伝えて。ひとりだけなら会ってあげると」
「かしこまりました」
チコは部屋を出ていった。しばらくして、薬の調合が終わった。数百年にわたる材料集めとレシピの研究の成果がついに実り、私は笑顔を漏らした。薬を入れた瓶に、その笑顔がひどく歪んで映っていた。それは、新しい媚薬だった。


 謁見の間の扉が久しぶりに開かれた。不気味な音を立てながら、『武器』はゆっくりと私のもとに近づいてくる。背中には身の丈ほどある剣を背負い、赤いマントと帽子を身に着けている。瞳には生気が感じられず、全身は木と鉄が混じった木金属で覆われていた。『武器』は私の座っている椅子の近くまで歩くと、少し驚いた表情をその目に浮かべた後、微笑を漏らした。カーペットの上でひざまずき、口を開いた。
「はじめまして。武器の王『カジオー』様の配下、ジェノと申します。銀河の闇を統べる黒き魔女にお会いでき、光栄の極みにございます」
「よくこの場所がわかったわね。どうやって見つけたの?」
「あなたと同じように、我らもまた、闇の住人。その気配を感じることができたのです」
 本当のことを話す気はないらしい。まぁ、それはいい。
「で、その話って、何かしら?」
「あなたは『ほうき星の魔女』のことをご存知でしょうか」
「名前くらいはね」
「この写真を見てください」
 ジェノはマントの内側から写真を取り出し、すぐそばのチコに渡した。チコから受け取った写真を見ると、そこにはひとりの女性が写っていた。私は直感した。きらめくブロンドの髪。ピンク色の唇。水色のドレス。そして、蒼く深い瞳。そうか……新しい巡りのなかで、新しい『私』が誕生したのだ。私は口を綻ばせた。胸の高鳴りが、視界を微かに揺らした。
「ほうき星の天文台に乗り、星の世界を当てなく旅する魔女です。行く先々で星の子たちを保護し、一人前の星に育てているようです。一部の者たちからは『星母』と呼ばれ、崇められています」
「もっと詳しく聞かせて」
 私はジェノから情報をできる限り聞き出した。ウソと本当が混じっているその言葉を、ひとつひとつ咀嚼しながら飲み込んでいった。


「……永遠ともいえる時間のなかで、億千もの別れを経験した彼女の心には、深い悲しみが眠っているはず。あなたの力ならその悲しみを解放できるのではと思い、お伝えに参りました。そうすれば、彼女の心は粉々に砕け……クックック」
「なるほどね。いいわ。あなたたちの企みに協力してあげる。その子は、私がいただく」
「承知しました。我々に必要なのは星の子たちと兄さんの命のみ……では、交渉は成立ということで」
 ジェノは帽子に手を突っ込んで通信機を取り出すと、すぐ隣のチコに渡した。
「連絡の際はこれをお使いください」
 失礼、と一礼し、ジェノは赤いマントをなびかせて部屋から去っていった。私は再び写真を手に取り、もうひとりの自分を舐めまわすように見つめた。碧く澄んだ瞳の奥に、黒い波動が宿っているのを、私は見逃さなかった。

 この子は『私』であり、私のものだ。

* * *

 私はジェノから聞いた情報をもとに、彼女たちの進路を予測し、その先で待ち伏せた。
そして、『武器』たちとともに彼女の天文台を襲った。身体変化の魔法で姿を変えて侵入後、船のバリアを解除し、チコを人質ならぬ『星』質にして、彼女たちの無力化に成功した。私の本来の力を使えば回りくどい方法はとらずに済んだのだが、それをしなかったのは様子を見たかったこと、そして何よりも彼女をできうる限り無傷で手に入れたかったからだ。少女に化けているとき、私は彼女の名前がロゼッタであることを知った。ロゼッタ。ロゼッタ。強く、美しく、しかし儚いその響きに、私は酔いしれた。
「おやすみなさい……」
 私は魔法でロゼッタを眠らせた。足元にうずくまる彼女をそっと抱き上げると、両腕に体温と身体の重みが伝わってくる。腕がドレスごしに彼女の身体に食い込み、実に心地がよい。彼女の顔の真上でスーッと息を吸って匂いを嗅いでみると、シャンプーと、若い女性の体臭が混じった良い匂いがする。
 ジェノは眠りについたロゼッタを見て、勝利を確信し高笑った。
「こんなにうまくいくなんてね。あなたの魔法には敬服しますよ」
「約束通り、この子は頂いていくわ。あとは好きにしなさい」
 私は振り向き、その場を後にした。ほどなくして、後ろからすさまじい音と衝撃が走るのを背中で感じた。小型の星船に乗り、自分の天文台へと向かった。
 私には、相手に触れることで記憶や感情を読み取り、操作できる力がある。ロゼッタを運んでいる最中、彼女の様々な記憶が両腕から伝わってきた。書斎でチコたちに絵本を読み聞かせているときの記憶、あの青いマントのヒーローくんに助けてもらったときの記憶。そして……
「これは?」
 彼女の心に浅く侵入していたそのとき、心の奥底に巨大な『氷』があるのを、私は確かに見た。その『氷』の中に、ウサギのぬいぐるみを抱きしめ、うずくまる少女が閉じ込められていた。ぬいぐるみは何かで濡れているようだった。



 天文台に着き、私はロゼッタを寝室のベッドに寝かせた。魔除けの縄で彼女の両手をベッドに縛りつける。杖は没収したが、魔法を発動させる方法は色々ある。用心のためだ。
 さて、準備はできた。しかし……このまま始めてしまいたいという欲望を必至に抑えながら、私は彼女の目覚めを待った。少し話しをしてみたかった。今の彼女を知るために。彼女の心を壊す前に。
 しばらくの間、彼女の寝息を静かに聞いた。ポケットに忍ばせていた媚薬を取り出し、瓶越しに彼女の身体をじっくりと視姦した。
 やがて、ロゼッタの指がピクリと動き始めた。私は瓶から媚薬を取り出し、口にいくつか含んだ。3粒ほど飲み込み、残りは溶かしすぎないよう、歯茎にくっつけた。


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